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​作るひと 
やまあい村 武藤計臣さん
 

●お名前お伺いしていいですか?

武藤計⾂です。

●今おいくつになりました?

この2⽉でもう69になりました。

●え?もう69?⾒えないですね。

いやあ、もう歳取りました笑 あなたたちもね、私の歳になると思うんだろうけど・・・いやあ、年取ったなあ笑 よく今まで⽣きてきたなあ・・・笑 だんだんゴールが⾒えてくるんよね。

●まだまだでしょ笑 今は武藤さんと息⼦さん2⼈とやってるんですか?

あと、家内とね。家内⼊れとかな怒られるよ笑

●そうでした!奥さんと4⼈で。養豚を始めたきっかけを教えてください。

うーんと、始めたきっかけっちゅうのは・・・産業廃棄物の処理場がここから300mくらいのところに出来ようとしたのでそれを阻⽌するためっていうことではあるんだけど。当時⾊々と本も読んで環境運動に興味を持って、市⺠運動に参加したりして感化されたっていうのかな。そう⾔ったことで、今の産業廃棄物の処理場の現状は、その、⼤量⽣産⼤量消費の中で、結局⾏き着く先はゴミの⼭だよね。そういうものを⾃分の⽣まれた地元でね、展開させるわけにはいかんと思って始めたんよね。始めたというか阻⽌をしたわけやね。阻⽌するためにどうするかというと、まず、そのお⾦が必要だしね。だから制度資⾦を借りて阻⽌しようと。借⾦してその処理場の予定地を買い取った。あとは、市⺠運動の仲間達がいたから、仲間たちに協⼒をしてもらってここで農業をやると。農業をやる上で援農に来てもらって、できたものを買ってもらうと。その・・・夢を描いたわけだね。いや、とんでもない夢でねこれ・・・笑 いや・・・あの、全然うまくいかなくてね。うまくいかないっちゅうあれが、その作物が全然育たなくてね。ここはもともと養蚕農家の⼟地だったの。⻄⽇本⼀の。規模の⼤きい。そんな規模が⼤きかったので、有機的な⼟作りとか有機的な養蚕とかそういうのじゃなくて、化学肥料⼀辺倒でね、それで葉っぱを育ててそれを蚕さんにやって。いかに1年間にどれだけ作るかっていう効率的な。だから⼟は化学肥料でやっとこさだったんだよ。やっとこさ⽣産してたって感じで。そこにいきなり⽊の根っこ引っこ抜いて耕して。私は有機農業だったから、堆肥とかそんなにたくさんあるわけじゃないし、何も⼊れずにね、野菜を作ってみたんよね。そしたら散々なんよね。

 

●あまりよく育たなかったんですか?

出来ない出来ない。要するに何も肥料分も養分もないというね。そういう⼟を耕して⾊々やったところでね、野菜の植物の根っていうのは栄養を吸収できないのよ。⼤きくはならない。特に野菜はそうなんよね、よっぽど⼟作りができてないと⼤きく育たない。そうすると、⽇にちだけ経つとその分だけ歳はとっていくんよね、野菜も。で⻩⾊くなってしまうんよね。⼤きくなることを忘れて⻩⾊くなっていく。とても出荷できるような代物ができない。もちろん広い⼟地なんでポツンポツンとたまたま養分が⼊ってる箇所、腐⾷⼟が⼊って育つところもあるんだけど、そういうところは今度は太りすぎちゃって。⼀気に収穫できない。で、最初は何件だったかな。12、3件くらい熊本の市内にね、⼈のツテを頼んで「こんなふうに農業をやってますので、どがんか買ってもらえませんか」っていうことでね、やってたんです。

●⾃分で持っていって?

そうそう。コンテナに8種類か9種類くらい詰めて、配達に⾏って。コンテナ⼀つが1500円くらいやったかな。で10件くらいだから15000円くらい。でやっぱりお客さんだから。その辺にあるワラビとか、シーズンによってはね、そういうものを⼊れたりしながらなんとか持ちつ持たれつの関係を作ろうとやってたんだけども、それが逆⼿に出るんよね。要するにちょっと⼤きくなったものをサービスで⼊れるじゃない?そうしたら「こんな売り物にならんようなものを配達してきて」ってね。

 

●ああ・・・そういう⾔い⽅をされるんですね。

そういうふうにやっぱりとられてしまうわけ。かといってホントにちょうどいいサイズを厳選してたら持っていくものなくなっちゃう・・笑 で、お客さんに「しばらく配達はいらない」と⾔われちゃう。困ったなあ・・・と。で、援農に来てくれるはずの、運動の仲間たちもそうそう来れるわけじゃないでしょ。そんな暇じゃないよ。毎週⽇曜なんて来れるはずないよね。だから⼀⼈⼆⼈はきよったけど、そのうちもう・・・誰も来なくなって笑 あいたーっと思ってね、これは困ったと。残ったのは何千万の借⾦ですからね、この⼟地を買った分の。これをいったいどうやって返すんだと。これはしまった、もう俺の⼈⽣これで終わってしまったと、そういう思いに囚われてね。

●それがいくつくらいのときですか?

えーっと、今からちょうど30年前だから、40か39か。

●もともとここの⼟地を買う前は何をしてたんですか?

もともとこの辺の農家だった。豚も飼ってたんだよね。21歳くらいの時からね、普通のやりかたで飼ってた。あとは⽶を作って、果樹も栗を少しやってた。そういう時に市⺠運動にちょっと⼊っていって。そこにここの産業廃棄物処理場の問題が起こって。で、そういうふうになっちゃった。

●そうですね、借⾦だけ残って・・・

だから結局、まあ・・・相当落ち込んで。俺の⼈⽣は終わったと。3ヶ⽉くらいかな。あの、いわゆる鬱病かな。鬱病になってもう、なんちゅうかな。毎⽇毎⽇が本当虚しくてね、もうどうやって死のうかと思うように・・・

●そうなんですね。

なるんですよやっぱりね、⼈間そんなふうにね。

●その時息⼦さんはもう⽣まれてたんですか?

もちろん、上が中学⽣くらいかな。で、そうなっていって3ヶ⽉過ぎた頃かな、体重が5、6キロくらい落ちて。で、なんとなく灰⾊に⾒えた中でね、これははっきりと覚えてないんだけどもう・・・吹っ切れたんよね。もう。どうでもいいっちゅうふうに。もういいと。もうどうなっても構わんとそういう⼼境になったんだよね。そうするとやっぱり、なんていうかな、悩んでるうちは⾊々⾒栄とか欲とかあるんよね、やっぱり。もう俺がこれで失敗して周りから相当なんか⾔われるやろうなとか、カッコ悪いなとかそういう思いがあったのよね。だから悩んだんだけど。でもそれが無くなってしまえば、さあ殺せと。さあ殺せという・・・⼤の字になって寝っ転がってさあ殺せという⼼境になった時にね、もうどうでも

いいやて。もうどがんなっても構わんていう⼼境になって。その時に初めて、あの、なんていうかな、どのみちこの⼟地は競売かなんかにかかって⼈の⼿に渡っていくんだろうけども、それまでの間どうするかと。もう野菜作ってもだめていうことはわかってるしね。豚たちに解放するかと思ったんよね。どうせ荒地だしね。だから、囲いをしてね、そこに豚を放したんよね。ぎゅうぎゅう詰めで飼ってた豚をね。そしたら・・・これが喜ぶ喜ぶ。それまで30年近く豚を飼ってたんだけどね、豚が喜ぶ姿なんて⾒たことがなかったんよね。豚が喜んで、⾶び回って、寝っ転がって、⼟掘ってね。そんなことするのをついぞ⾒たことがなかった。当然だよね。狭いところに閉じ込めた姿しか⾒たことがなかったから。だか

ら、豚ってこんな表情をするんかってのをそん時初めて知った。笑ってるんだよね、豚。

●やっぱりわかるんですね、笑顔が。

まあ、そんなふうに⾒えた笑 もうとにかくピョンコピョンコ⾶び跳ねてね、それに私が⼀番感動したんよね。それまで30年⾒てきた豚と今⽬の前の豚と⾒⽐べてね。そんなに違うんだと。もうほんとに、あの、今までで⼀番感動したと思う。今⾒学の⽅とかきて「わー!」って喜んでくれるけどそんな⽐じゃないと思う。これは・・・よかったなって。思うけども、それを1年くらいやったかな。でもコスト的に全然合わないんよね。運動したら太らないしね。結構脱⾛とかもあるしね。脱⾛したら柵に⼊れるのは⼤変だしね笑 餌効率が当然悪い。でも出荷するのは普通の豚と⼀緒の価格。普通の市場に出すわけだからね。完全にこれ、コスト的にはアウトだなって。これも⻑くはやれないかって思ってたところへ、産直クラブと知り合ったわけ。で、産直クラブはその時ちょうど⽴ち上げたばっかりでこだわりの商品を⾊々扱おうとしてた。で、たまたま知り合いのところで豚の話をしてたら、そこに庄野さん( 産直クラブの創⽴メンバー)って⼈が経理の⼿伝いに来てた。で、こっちが豚の話をしてると向こうからチラチラこっち⾒てる笑 なんだろな、この⼈はって思ったけど・・・それで、その時はそのまま別れるんだけど、庄野さんは産直クラブに戻って、産直クラブの会議で豚⾁の話が出たときに「⾯⽩い豚⾁知ってるぞ」ってウチを紹介してくれたの。その後で、産直クラブのメンバーたちが⼀緒に⾒に来たのね、そして、来た時にうちの豚たちを⾒て第⼀声「おー!⾛る豚だー!」っと。それでネーミングが決まった。

●それで名前が決まったんですね!

私の最初のネーミングは「野豚」だった・・・笑 そういうことで、結局産直クラブとはともに歩むというかね、⼀緒にやりながら現在に⾄ると。

●それでお付き合いが始まってもう2 0 年くらい・・・?いつ頃から息⼦さんが⼿伝い始めたんですか?

えーっと、そうだね、上の息⼦はもう15年くらいになるかな。2番⽬の息⼦が⼤学出てからだからやがて10年くらいになるかな。

 

●今は産直クラブももちろんですけど、出荷先も増えて安定してきましたか?

安定は・・・しとらんなあ。あの、なんちゅうか不安な要素っていうかね、そう⾔ったものがあるんですよ。世界中に、今のコロナ問題とかもそうなんだけれども、こう⾔った社会情勢が与える影響、まあ餌問題に関した問題だとか、豚コレラとかいろんな問題があって。安定してるってのはちょっと⾔えないよね。

●そっか、しかもコロナで卸先の飲⾷店がなくなったりとか・・・?

それもあるよ。だから果たしてね、このまま⾏って⾃粛⾃粛で飲⾷店が閉店して⾏ったらこっちは売り先がなくなって⾏ってしまうしね。これは由々しき問題だよね。

●産直クラブに対してご意⾒はありますか?

うーん、そうやね・・・いいのか悪いのかわからんけども、お互いに同じ道を歩んでるんだよね。だからいかに環境汚染せずに、消費者の健康のためになるような⾷品作り、⾷品の流通っていうのをやってるわけだから、これはやっぱり妥協せずにやっていくべきだよね。これが結果的には信⽤ということに繋がって⾏ってね、儲かりはしないまでも継続できるようにね、やっていくべきだよね。

 

●ほんと儲からないですね・・・笑

そうだよね笑 でも、結局そこじゃないかなと思うよ。私利私欲に⾛ったら結局続かなくなるんじゃないかな・・・

 

●そうですね。⻑いこと産直クラブと付き合って頂いて、昔の産直クラブと今と変わったことってあります?

最初の理念と今やってることってどうなのっていう気はするけども・・・まあその辺はわからんたいね。まあやってると思うけどね。

昔は武藤さんも、産直の創⽴メンバーもそうですけど、市⺠運動とか環境運動から出てきて、でも今は世代が変わったじゃないですか。そういう意味でその、思想とか意識がなかなか継続できてないっていうのはあるかもしれないですね。

そうだね・・・でも⽴ち上げた時の理念ってやっぱり⼤事だよ。

●そうですね。もう⼀回改めて産直クラブってこういうところだよ、うちの理念はこういうものなんだっていうのをみんなの共通認識にしたくてこの新聞も作り始めたのでもう1回ちゃんとやりたいと思っています。

そこは⼤事だよね。

●はい、やっぱりスタッフもそうだし、会員さんもそうですけど、やっぱりちょっと効率的な考えになっちゃうじゃないですか。

それはね・・・みんなやっぱり考えちゃうもんね、どうしても笑

●そうなんですよね。ついつい。だからもう⼀度初⼼に⽴ち返りたいなと思っています。

例えば、他の⼤きな⽣協なんか、どっちかといえば⽣産者を買い叩いて、品物を安く仕⼊れて、安く売って、会員数を増やしてというやり⽅になって⾏ったじゃない。それじゃやっぱりいかんやろと思う。それじゃ結局⾃分も潰していく気がするんだけどね。経営の合理化とかいうと違うんだろうけどね、視点が。それで出てくる⾔葉というと頑張りましょうしかないもんね・・・頑張りましょうと⾔われてもね・・・笑

●会員さんにメッセージはありますか?

もう感謝しかないですよ、これは。飼って⾷べてくれるおかげでうちは成り⽴ってるわけだからほんとに感謝しかないですよ。ともに頑張りましょうなんて⾔えないよな。やっぱりな。

ありがとうございますしかないよ、やっぱり。だからね、それに⾒合うだけの商品を作るべきなんだけどね、まあそれについては努⼒の⽇々ですよね。

●でも、やっぱり美味しいですよね。ほんとに。

ありがとう。そう⾔ってもらえるのが本当に⼀番嬉しいよね。もちろん美味しいと⾔われるのは、本当に嬉しいんだけどね、共感してもらいたいのは豚が本当に喜んで⽣きてね、結局は⾁になるんだけども、それまではね、豚の⼈⽣を謳歌してもらいたいという、それを⼤事にしてるんだという、まあアニマルウェルフェアたいね。

●そうですよね、アニマルウェルフェアなんて⾔葉が⽇本で流⾏る前からずっとやってるんですよね。

だから、それは基本姿勢としてうちは持ち続けていきたいと思ってる。それにできれば賛同していただきたいし。で、結果的に美味いということであればね、本当に⾔うことなしだよね。

●ありがとうございました。

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​運ぶひと 
naturalnatural春日店 店長 坂本千代子

●お名前は?

坂本千代⼦です。

●お年は?

あ・・あのちょっと・・・じゃあ年代だけで笑 50代を彷徨ってます。

●彷徨うんだ・・笑

そうなんです。⾏ったり来たりしてます笑

●この仕事を始めたきっかけは?

前職でちょっと、うんって・・・つまづいた時に、昼休みに覗いた新聞に那珂川キッチン(産直クラブのグループ会社)のお弁当の開発者募集の記事が⼊ってたんですよ。私⼀応調理師免許を持ってるんですね、ペーパーですけど笑 それで、もう今の仕事をやめて新しい仕事に⾶び込もうと。で、⾶び込んで⾯接を受けました。その時の⾯接者が今の吉⽥会⻑で、新しくお弁当部⾨を⽴ち上げますってことで。で、⾯接の時に吉⽥会⻑が「うちは熊本の菊池に農場を持っています」っておっしゃって。私⼩さい頃菊池で育ったんですね。なので天から何かが降ってきたみたいな感覚で・・・本当にご縁を感じて、それで今に⾄る感じです。

●それが何年くらい前ですか?

えーと、4、5年くらい前ですね。

●じゃあもうここに⼊って5年くらい?

ですかねー?⼤体そのくらいです。

●じゃあ、それでキッチンで仕事を始めた?

それがですね・・・3ヶ⽉くらい試⽤期間の時に最初キッチンで働いて、その後少し事務所の仕事も体験して、そしたらお店の⽅で⼈が⾜りないからちょっと⼿伝ってって⾔われて・・・何にもわからずに店舗に来て・・・まさかずっと店舗にいる事になるなんて思いもよらなかったです笑

●じゃあそれでそのままずっと店舗なんですか?

そうなんです笑

●実際それから店舗勤務になってどうですか?店舗のお仕事は?

楽しいです!ただ、ほんとの話していいですか?私店舗の仕事向いてないんじゃ無いかなっていう気持ちはあるんですよ。きつい仕事だなって思うこともあるし。でも楽しいなって気持ちもあって。⾃分に何ができるのかもわからないし。お客様と話すのは楽しいんですよ、喜んでいただけたりすると嬉しいし。⾊んな⼈との出会いの場があるから。直接⼈と話すのは楽しいんですよ。でも、店⻑という⽴場には違和感は感じてるんですね。何もこのオーガニックの業界のことを知らずに⾶び込んでるので、何もわからないんですよね。お客さまの質問にも答えられない・・・お客さまの⽅が詳しいんです。で、いつもお客様に教えてくださいってお願いをして。この5年間ずっとその調⼦でお客様に教わっていて。で、私なんかが店⻑やっていてこの店⼤丈夫なんだろうかって・・・スタッフは私が頼りないから、この店は私たちが⽀えてるんだって思ってくれてると思います。

●もともとうちに⼊る前にオーガニックに興味はあったんですか?

興味はありました。ただ、私シングルで、⼥⼿⼀つで⼦供を育ててきたんですね。なので⽣活にゆとりがなかったんです。時間的にも⾦銭的にも。だから興味はあったけどオーガニックの世界は⾃分にとって遠い世界だと思っていました。

●なるほど。やっぱりお⾦もかかるしね、オーガニックで暮らすって。で、どうですか?オーガニックの業界に⼊ってみて。

びっくりしました。最初は野菜の美味しさにびっくりしました。加⼯⾷品に関しては、初めは正直美味しさがわからなかったです。添加物に慣らされてるっていうか。でもだんだん⾆が慣れてくるっていうか、うちの⼦供たちも最初は(店舗で売っている)ラーメンとか持って帰っても「ママのとこのラーメンおいしくない」っていうぐらいだったんですけど、最近は何を持って帰っても美味しい美味しいって⾔ってくれるようになって。4、5年かけて⾆がやっとノーマル化されたっていうか・・・添加物の⼊ってない味に馴染んできた感じです。

●お店をしている中で苦労することは?

あんまり苦労とか考えてなかった・・・え、苦労ってなんだろ?苦労・・・そうですね・・・まだまだきちんとお客様に想いを伝えられていないなと思っているんですね。それぞれの商品ももっと良いところをお客様に伝えたいんです。⽣産者の思いとか、オーガニックの本当の良さとか。私は「運ぶ⼈」であると同時に「伝える⼈」だと思うんです。だけどまだまだ伝えきれないなって思っていて・・・それがジレンマです。

●坂本さんがこれからやりたいことは?

私⼀⼈では何もできないですけど、みんなでこのお店を作り上げていきたいです。お店って売る⽅も作る⽅もお客様もみんなで⼀緒に成⻑していったり変わっていかなきゃいけないものだと思ってるから。⾃分⼀⼈では何にもできんから、皆さんの⼒を借りたいですね。お客さんの要望があってそれが⽣産者さんに届くし、⽣産者さんの思いがまたお客様にもい

ていくし、⼀緒になって盛り⽴てていくっていうか、成⻑していく店にしたいんですよ。だから私⼀⼈ではなくみんなで作り上げていきたいです。

●⽣産者の⽅にメッセージは?

私⽣産者の⽅には本当に涙が出ます。実は私の⼦供が、私が作ったご飯を捨てたこと

があって・・・⾷べきれないとかなんとかで。で、本当に腹が⽴って涙が出てきて。あんなに苦労して作ってくれた⾷材を。私⾃⾝の信念が⽢かったんやろうかとか、息⼦に伝わってないんやろうかとか・・・あれ、私何が⾔いたかったんやろか・・・?質問なんでしたっけ?

●⽣産者の皆さんにメッセージを笑

いつも美味しい⾷材をありがとうございます!笑

●最後にお客様にメッセージはありますか?

いつも利⽤していただいて、本当にありがたいです。前に夢広場がなくなった時に、お客様が「⾃分たちがこのお店を⽀える」って⾔ってくれたんですよ・・・商品数も少なくなって、⼀⼈でやってていろいろなところに⼿がまわなくなっていって、それでも⾷材買いに来てくれたんですよ。全然物が並んでなくても・・・「私たちの⼒が⾜りなくてごめんね」ってお客様が。「もっともっと買ってあげたいんだけどね」って⼀⼈⼀⼈がおっしゃって・・・だから私本当にお客様にはもう頭が上がらないんですよね。お客様あっての店だと思ってます。感謝してますね、あの時に・・・やっぱり、今でも通ってきてくださって。ああ、どうしよう、化粧が流れる・・・笑

 

●泣きすぎですよ笑 今から写真撮るのに・・・笑

いや、やばい・・・マスクで拭きます・・・お客様には本当に涙が出ます。だから裏切っちゃいかんなって思ってますホントに。

 

●ありがとうございました。

​いとバイ通信 
元熊本産直クラブ代表 伊東弘
 

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熊本の菊池市は産直クラブの中⼼的⽣産地です。菊池市には桜の名所が多くあり皆さんにも菊池市に⼀度は来て体感していただきたいものです。

「有機農業の夜明け」になるのでしょうか。

「農林⽔産省が2050年までに有機農業の農地を25%まで拡⼤する」⽅針であることを2⽉27⽇のNHKニュースが伝えました。この意味するところを考えます。

 

現在有機農業の農地として使われている⾯積は1%にも満たない広さでこれを30年間で40倍以上に増やす⽅針です。なぜ有機農業の農地が1%以下と少なくなったのでしょう。

 

昔江⼾の百姓は1⽉になると正⽉のごちそうで栄養豊かになった肥を⼤根と引き換えに集めていたそうです。当時の江⼾は環境に優しい循環型農業が⾏われていました。

 

太平洋戦争までは⾃然農法や有機農法が主流でした。戦後は農協が中⼼の農業となりました。農家への農業技術の指導や農作物の販売や農業資材の供給は農協が⼀⼿に担ってきました。しかし農協の農業資材には「化学肥料」や「農薬」も含まれていました。このため消費者が化学肥料や農薬を使わない作物を希望しても殆どの農協⾃体は取り組むことができなかったのです。

 

⼀般的な農業の技術指導は化学肥料と農薬を使った農業が前提のものが多いのです。そんな状況が⻑く続いたために有機農業の農地は1%以下にまで落ちたのです。

 

農薬・化学肥料を使った農業に医学界から警鐘を鳴らす医者が現れました。我が家から歩いて⾏ける所におられる⽵熊宜孝先⽣はその⼀⼈です。公⽴の養⽣園診療所で活動されました。先⽣の養⽣説法を聞くために全国から延べ数⼗万⼈がバスや⾞で来たので。

 

九州では各県に有機農業者の組織があります。熊本県ではその組織が毎年有機農業のお祭りを⾏っており1万⼈の参加がある⼤きな祭りに発展しています。このイベントに参加する⽣産者の多くは産直クラブの⽣産者です。

 

産直クラブは消費者の⽴場から医と農の⼈々と⼀緒になって⾃然⾷品のある社会を育ててきました。

 

農林⽔産省は世界の⼈々の環境意識の⾼まりもあり、化学肥料や農薬使⽤⼀辺倒だった農業政策から有機農業も推進する農業政策に⼤きく舵をきろうとしています。

 

しかしこの政策転換までには⻑い年⽉を要しました。⼤多数の⼈々が農薬・化学肥料の農業に傾いた時も医・農・⾷の志のある⼈々が安全性を守る活動を続けたことが政策の⼤転換を⽣み出したと⾔えます。この意味で産直クラブの活動に誇りを持ってもいいと私は思います。

​コミューン時評 
ドリームグループ代表 吉田登志夫
 

夏、⽥舎に暮らす恐怖

私は毎週末、熊本の菊池農場であか⽜の餌やりを担当している。菊池は渓⾕からの清流が延々と広がる⽥畑に流れ込むそれはそれは美しい典型的な⽇本の農村地帯であり、初めて訪れた⼈は皆「なんと素晴らしい環境でしょう!」と感嘆の声をあげる。

 

こんな美しい⽥舎だが夏が来ると恐ろしい事が始まる。菊池も⽶の裏作で⼩⻨をつくる農家が多いが、⽥植えの準備がそろそろ始まる5⽉頃はその収穫期にあたる。その⼩⻨収穫前にどの⼩⻨畑にも⾚⾊が⽬につく「無⼈ヘリ防除確認旗」が⽴つ。防除とは「⾍除け農薬散布」のことであり、以前は無線ヘリコプター、今はドローンが農薬散布に⾶ぶ。その⽇は村のスピーカーが「今⽇は空中防除がありますので窓を開けないでください」と唸る。農薬散布が⼈体に危険であることを皆わかっているからスピーカー放送が為されるのであろうが、窓を閉めたところで⼩学⽣は朝⼣通学している。農薬散布は農協が指導している。農薬を散布しないで⾍⾷いが発⽣したら⼩⻨の等級と値段が落ちるので、農協は農薬散布してない⼩⻨は引き取らないと決まっている。例え⾍が発⽣してなくても、農薬散布は農協引き取りの条件・規則となっている。

 

私は菊池では朝⼣に福島被災⽝の陸を放して散歩をする、⽥舎の畦道に⼈影はないので。去年の8⽉、いつもの様に陸を放して散歩していたら収穫前の稲⽥に⼊って⾏った。いつもは農薬散布を意識して⽥畑には⼊らせないのだが、その⽇はついウッカリしていた。ハッとして呼んだが5分間位、稲の中をウロウロとしていた。果たして、翌朝、陸がグッタリした。村の獣医さんに⾎液検査をしてもらったら尿窒素などの数値が異常で急性腎臓不全との診断で2週間程点滴治療をして⼀命を取り留めた。獣医さん⽈く「刈取り前の⽔⽥は⽔を落とすが、⽔を落とすと収穫前散布した農薬が濃くなって稲の茎に残る。それを嗅いだ⽝猫や狸イタチなどが農薬中毒になる」。

 

野菜などの残留農薬はじわじわと⼈の健康を害していく。では農薬で直接亡くなる⼈はいるのかな?とネットで調べてみた。「厚⽣労働省の⼈⼝動態統計によると、2014年の農薬による⾃傷および⾃殺者は254⼈、農薬による不慮の中毒および曝露による死者は78⼈で、死者の合計は339⼈でした」ー結構の数字だった。近年、夏になるとナフコなどのホームセンターの⼊り⼝に「ランドアップ」などの除草剤が⾼く積まれて⼀般⼈に特売される様になった。農薬は⽥畑だけでなく、家の庭や通学路まで侵略してきている。

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